剣持氏が院長を務める剣持整形外科には、リハビリ、フィットネス、介護デイサービスなど、あらゆる角度から患者を包括的にケアするための医療サービスが揃う。それに呼応するように、院内には高度な機器や設備が所狭しと並び、「大学病院で提供している医療のクオリティを地方のクリニックでも維持したい」という同氏の思いが随所に見てとれる。
一般的な整形外科クリニックではあまり目にすることのない救命カート(主に救急医療などで使われる蘇生処置を行う医療用具一式)も常備するなど、専門領域に捉われない医療サービスの充実も同クリニックの特徴だ。 「専門外だから関係ないでは なく、たとえ研修医レベルの知識でも患者さんの状態を細かく見て診断することで、病気の早期発見につながることもあります。命が救われたと言って涙を流しながら感謝してくださる患者さんも沢山診てきました」。
だからこそ剣持氏に言わせれば、「幅広いサービスや大学病院レベルの医療を提供しようと努力や研鑽を続けるのは、医師として当然の務め」。患者からのどんな S O Sに対しても、患者を救うために全てを捧げる姿勢こそ、同氏が最も大切にしてきた信念でもある。 「そのためにも僕は走り続け たい。医師としての強みは決して止まらないこと、全力で走り続けることですから」。
しかし、そうした医師として の姿勢はときに、医療業界と自身の考えとのギャップを感じる一因にもなったという。「大学病院での勤務医時代は、私のような熱血漢は煙たがられてしまうこともありました。医療訴訟を怖れ、医療経済を重視するあまり、仕事をそつなくこなし、当たり障りのない医療を提供する医師の処世術が根付いていたからです。臨床の現実と、学会や論文報告との明らかな温度差も感じてきました」と危惧する。
そして、「日本の医療業界の悪しき慣習を変えたい」という熱い思いが結実し、独立を決意。それが開業から 11 年を経た今でも、変わらない原動力の一つになっている。 地域医療のレベルを劇的に引き上げる努力も、地方と都市部の医療格差をなくしたいという願いがあったからこそ。 18 歳のときに東京に出てきてからというもの、自身の地元である群馬の地に「いつか恩返しをしたい」というのが、彼の口癖でもあった。
P R Pを用いた再生医療で、世界へ手を差し伸べる 「多くの医師は東京などの都 心部で自分の力を試したいと思うものです。だから地域医療は衰退してしまう。しかし地方でも質の高い医療は提供できますし、地元の困っている人たちを助けるためには地域医療で結果を出すことしかないと思ったんです」。
そして今や、剣持氏の提供する医療は大学病院のレベルをも超え、グローバルスタンダードな医療へ到達している。その根拠となるのが、医師の研鑽の証といえる数々の臨床実績と、世界初の症例報告となった博士号論文の存在だ。
「超音波治療を用いた足関節 捻挫の治療」は足関節捻挫の治療に一石を投じた世界初の報告となり、博士号論文として認定。大学時代からスポーツひざ班として活動し、数々の関節鏡手術を行ってきた剣持氏だからこそ完成できた「 P R PおよびP R Fを用いた半月板修復術」の発表も、世界初の報告となった。この論文がきっかけで、同クリニック独自の変形性ひざ関節症に対する基本方針が構築された。
P R Pおよび P R Fとは、患者の血液から作製される細胞加工物のこと。半月板を切除せずに修復できる画期的な再生医療法として、昨今では広く認められるようになった。その第一人者として名を残すのが、前述した世界初の論文を発表した剣持氏である。「とはいえ、この研究を始めた5年前には周囲から嘲笑されることも多々ありました。現在も半月板の修復を望む患者の7割が、切除手術を強いられているのが現状です」。
しかし「 P R Pを用いた再生医療」は今後、 i P S細胞や滑膜幹細胞と並び、整形外科の臨床治療にパラダイムシフトを起こす大きな可能性を秘めている。実際に、2018年6月から同クリニックでスタートした変形性ひざ関節症に対するP R Pの注射療法では、長い間痛みを伴って歩行もままならなかった患者が、走るまでに回復している症例まで出始めている。そうした実績は全国に知れ渡り、最近では富山や神戸、九州から足を運ぶ患者までいるほどだ。
「 P R Pによる再生医療を誰でも手軽に受けられるよう取り組んでいき、患者さんに感謝される医療を提供したい」という剣持氏。彼の論文があえて英語で書かれているのも、それらの知見を世界中で広く利用してもらいたいと願う配慮の表れだ。群馬県太田市から世界へと羽ばたく地域医療。「生きるために医師という仕事を選んだわけではないんです。医師であるために生きているわけですから」という同氏の終わりのない挑戦は、今もなお発展途上だ。
杏林大学で医学を学んだ自分…。
【杏林】の意味
『〔廬山(ろざん)の仙人董奉(とうほう)が、人を治療しても礼金を取らず、治った者に記念としてアンズの木を植えさせたところ、数年にしてアンズの林ができたという「神仙伝」の故事から〕 医者の美称。』この意味を知ったとき、地元群馬の自分が生まれ育った故郷にアンズの林を作りたいと思いました。