PRP療法との出会いとあゆみ

Kenmochi Orthopaedic Surgery,Sports Medicine, the Organization of Sport

剣持整形外科クリニックのPRP療法の歩み

当クリニックでのPRP療法をご希望される方へ…。


昨今、新しい治療方法として何かと話題になっている、【再生医療】。
その中でも、当クリニックが自信と情熱をもって行っている【PRP療法】。

本ページでは、私と当クリニックがPRPに出会い、認可を取得するまでの経緯や、実際に現在PRP療法を施すにあたってどのような気持ちで取り組んでいるのか…、当クリニックPRP療法の歩みをご覧頂きたく思います。
(私、剣持雅彦の手記のような物ですので、文中でご不快な思いをなされる表現等ありましたら申し訳ございません。)

剣持整形外科クリニック 医院長 剣持雅彦

「生きるために医師でいるのではなく、医師であるために生きなければいけない。」

1)杏林大学病院勤務時代

1996年に医師となった私は、先輩方にくっついて毎年海外の学会に参加するのが楽しみの一つでありました。当時、海外ではすでに行われていた半月板移植。(この頃、ちょうどオージーブラックスの選手が牛の半月板を自分の膝に移植したと地元の新聞に載った時でした。)先輩たちが「外国人は日本人と比べると、膝の大きさも違うからな!」などと笑いながら話しているのを聞きながらも、そんな報告を聞いて、日本でも半月板移植ができないものだろうか?と本気で考えていたのを覚えています。

当時は、大学の医局研究室内で脊椎班の使用した処分待ちの家兎を、有効利用といいますか、家兎の膝の半月板を摘出しては、冷凍して他の家兎に形を変えて縫い付けるというような実験を行っておりましたが、まだその頃はミドリ十字のHIVの問題もあり、感染の観点から本邦での移植は至極困難な時代でした。 

昨今は「SAVE THE MENISCUS」と言われておりますが、私が研修医の頃は「傷んだ半月板は邪魔なものである。」そんなイメージもまだ残っていた時代でもありました。私は、元来半月板温存派なのですが、正直言うと「むしりとってしまうのが忍びない」という思いがあったことに加え、手先が器用なのも手伝い半月板縫合をすることには何の苦難も感じることはありませんでしたし、むしろ興味深く面白かったので自然と温存派になった記憶があります。

2000年頃にはフィブリンクロット(FC)を用いた半月板修復が注目を浴び始め、私の勤める杏林大チームも追従しましたが、毎回安定して作成できるわけでもないフィブリンクロット(FC)を用いた半月板修復にはいつも懐疑的でした。

杏林大学病院勤務時代の写真
右上 院長5年目(石井良章教授退官最後の診察にて)

2)PRP(Platelet-rich plasma)との出会い

それは2002年のISAKOS (FLORIDA)に、私の師匠である佐々木茂先生とで参加した時のことでした。佐々木先生は当時ACL(前十字靭帯)について積極的に学ばれていたので、『じゃあ俺は半月板』と思ったのはかすかに覚えています。その時期はまだ自分が何をライフワークとすべきか専門の中の専門を決めかねていましたが、ふらっと入ったセッションでPlatelet-rich plasma(PRP)を関節鏡手術で使用する発表をたまたま聴講し、FCでは無い遠心分離機を用いて製造する血液加工物(PRP)の存在を初めて知りました。その時に、『PRP治療をしてみたい。』という気持ちが芽生えたのを今でも覚えています。

それから月日が経つとともに、スポーツ整形外科としてPRPを肉離れや腱損傷に用いた治療が欧米の学会に行くとかなり脚光を浴びてきました。『PRP治療をしてみたい。』という自分の整形外科に対する果てしない夢は、大学病院勤務のままでは到底成し遂げられないことは潜在意識下に承知していたので、開業するに至るわけですが、お世話になっている大学の医局には申し訳ない気持ちでありましたけれども、後ろ髪を引かれる思いで、故郷に錦を飾るべく2007年、群馬の太田にクリニックを開業しました。

2002年のISAKOS(FLORIDA)の写真
師匠の佐々木先生(現JCHO山梨病院副院長)と

3)PRP療法を実現するために

開業後も『PRP治療をしてみたい。』という希望と、美容整形のように拝金主義的な治療をすることへの抵抗感が相まって、PRP治療を行うことは我々整形外科にとってはハードルの高いものでした。そんな中でも「順天堂や筑波等の大学病院レベルでは粛々とPRP治療が行われている」、「市中のクリニックでもPRP治療を行なっている」という噂をちらほら耳にするようになり、母校の大学の医局に残っている膝班の御前会議を行いましたが、「現時点での大学で、最先端のことをするには手続きが複雑すぎて極めて困難。

お前のところでやれるところまでやってみろ」と当時の膝班トップの小谷助教授に提言され、『どうすれば大学病院のようなブランドもない、なんの変哲も無いチンケな市中のクリニックで、美容整形的な側面からではなく、あくまでも整形外科学的な立場で、治療として、安全に堂々と胸を張ってPRP治療ができるのか?』と、当クリニックでプロジェクトチームを作り徹底に調査を開始したのが2013年だったと思います。この挑戦も、自分の理想とする医療を実現してみたいという志で開業したからならではだと思います。

剣持整形外科の写真

2015年、ついに本邦において再生医療新法が制定されることになりました。我々が日々行う治療にも更なる倫理面および安全性の確保が必須となり、同時に、当時日帰り手術で行なっていた半月板修復術に使用していたフィブリンクロット(FC)もこの再生医療新法の対象となりました。クリニックのプロジェクトチームは再生医療提供施設としての申請を何ヶ月もかけて厚生省に提出しましたが、いざ提出する段階になって、突然フィブリンクロットが再生医療新法の対象から外されることとなってしまったのです。まさに大人の事情といったところでしょう。煩わしい事務作業から開放されることへの安堵の一方で、『PRP療法に関する自分たちの方法を申請し、もし認可されれば、堂々と胸を張ってPRP治療ができるのではないか⁉』という新たな希望も湧いてきました。

剣持整形外科クリニックプロジェクトチームの写真

それ以降は、認可を得るためクリニックでは昼休みになると連日のようにスタッフ達の採血合戦が繰り広げられていました。我々はスタッフ総出で様々な英語文献を渉猟し、その中で遠心分離の回転数や、回数、量など様々な条件を模索し、最適なPRPの作成に日夜励みました。PRPを作ってみると、『今度は液体のPRPをなんとか半月板に挟めるように…』、『できればPRPを染み込ませられるようなグミみたいなものはないのか?…』と、面白いもので、知れば知るほど好奇心は雨後の筍のように次から次へと湧いて出てきました。我々には、やらなきゃいけないことはたくさんありました。

剣持整形外科クリニックプロジェクトチームの写真(2)

4)PRF(Platelet-rich fibrin)にたどり着く

そして、暗中模索の結果、ついにフィブリンクロット(FC)に代わる生物学的修復促進加工物として、歯科のインプラントの際に用いられている歯槽骨に骨形成を促されるために使用されていた第2世代のPRPと言われるPRF(Platelet-rich fibrin)にたどり着きました。

早速、このPRFに関しての調査に取り掛かりました。 海外のあらゆる文献を読み漁り、様々調査した結果、歯科のインプラントに日常使用されているPRFを半月板修復に使用することを思いつきました。しかし、PRFだけでは作用発現時間と作用持続時間のギャップがありました。そのギャップを埋め、より効率的に、かつ即効性も考慮した結果、膜状のPRFと液状のPRPを同時に使用する方法にたどり着き、審査委員会の審査をクリアし、厚生省の許可を取得しました。その結果は、英語論文として発表してあります。

英語論文の写真

※当時は、PRPを作成するキットは国内販売されておらず、海外から作成キットを個人輸入するか、自分たちでPRPやPRFを作成する方法しかありませんでした。PRPを作成する為に、医局に代診医を頼み海外の学会まで出かけ(事情を知った当時の市村教授は「皆に内緒だぞ!」と言って大学の医局から、元医局長と現医局長の二人を派遣してくれました)、器械展示ブースでありとあらゆる使えそうなPRP作成キットを探し廻りました。(PRFはゲル状構造のため、現時点でも作成キットは存在せず、自分たちで作成するしかありません。)

このような経緯を経て、私は2015年の新法施行以降、半月板修復術にはPRP及びPRFを用いています。20症例ほどであろうか、気のせいなのか、達成感ゆえなのか。PRP療法を施した患者様の術後診察をする度に、今まで経験したことのないような関節可動に伴う軟骨の滑らかさを実感し、また、術後半年くらい経過した頃から術後成績で100点が続出していく状況を経験していくうちに、我々の血液に秘められた無限のポテンシャルに驚嘆し武者震いしたのを覚えています。

それと並行して、将来の再生医療に向けて投資を始めました。クリニックの増築工事とともに、クラス10000の最新式の新手術室の造成に着手しました。新手術室になってからは、粛々と日帰り手術でPRFとPRPを用いて半月板修復術をこなしていました。

剣持整形外科の手術室の写真

5)PRPの効果を確信

その中で、膝の軟骨欠損を伴っている半月板損傷症例を経験することになります。本来であれば、半月板修復に合わせて、軟骨欠損部の既存のマイクロフラクチャー法、あるいは軟骨下骨露出部へのドリリングを行う予定でしたが、日帰り麻酔の功罪で麻酔効果が薄れて来たため、半月板修復のみで手術が終了しました。その患者さんは、6ヶ月間程「なんか膝がしくしくする」という症状を訴え続けており、そんなはずはないという説明をしても納得せず、MRIを施行してみると訴え通りに大腿骨内顆部の軟骨欠損部分に一致して、著しい炎症反応の増大が認められました。術前に認められた軟骨下骨の露出部分の炎症反応が拡大傾向にあったと思われました。当初は「軟骨欠損部がPRP,PRFによって増悪したのか?」、「いよいよ負の側面を目の当たりにするのか?」と期待と不安がありましたが、どちらかというと不安の方が大きかったので、同部のドリリングによる繊維軟骨形成を目的に再手術を施行することになりました。

PRPの効果に関する写真

同時に、修復した半月板の修復状態も確認しようと目論んでいましたが、我々が目にしたのは予想だにしない事実でありました。たった半年で、元の軟骨欠損部にこんもりと、あたかも真珠で覆われたようなツルツルに光った豊富な繊維軟骨がクレーター状を呈していた軟骨欠損部を覆っているのを発見し驚愕しました。軟骨欠損部をドリリングした後にできる繊維軟骨はそれまでの経験では、蛸壺を並べたようなボコボコしたあまり綺麗な印象はなかったので、これは、「PRPは軟骨に本当に効くんだ!」と正直心拍数が上がりました。いうまでもなく、PRFを挟み込んで縫合した半月板はしっかりと修復され、縫合糸が異物として認識されるのか?術中はしっかりとPRFを挟んで縫いつけていたはずの縫合糸も緩んでいるほどでした。

術中の写真をすぐに師匠の佐々木先生にメールをして確認してもらったところ、「残念だけど硝子軟骨の再生ではなく、繊維軟骨だろう。でもすごい立派に出来ているんだなー」その揺るぎない事実が、膝関節の注射なんて美容整形の金儲けと疑われかねないと信じて止まなかった私の重い腰をついに動かすこととなりました。(ちょうどその頃、順天堂大学病院整形外科の斎田良知医師が「魔法の注射」としてテレビでPRP注射について紹介され、PRPの効果を確信していた我々にとって、本当に嬉しかったのを覚えています。)

その放送の翌日から、当クリニックにも、連日その魔法の注射が打てないものかと問い合わせが殺到しました。しかし当時は、半月板修復術に伴うPRP&PRF治療と腱や靭帯等の軟部組織損傷に投与するPRP注射しか当クリニックは認可をとっていなかったので、我々は半月板修復後に確認した繊維軟骨形成の症例を報告し、急遽関節内注射の認可を申請することを決め、非常に迅速に対応して頂き、変形性膝関節症に対するPRPの関節内注射の認可を取得できました。

6)当クリニックがPRP療法を安価でご提供できる理由

PRP療法の効果を確信出来たこと、認可取得が出来たこと。これらのすべては、スタッフたちの日々の痛い思いをしながら積み重ねた努力と確固たる技術と知識の積み重ねによるものだと思っております。

通常の施設ではPRPを作成する為の設備がなく、閉鎖式回路のような高価な器具を使用、もしくは、その都度高額なキットを購入せざるを得ない為、治療費も高額になりがちです。しかし、当クリニックは増築工事の際、術中に使用するPRPを製造するスペースも想定して新手術室を設計(※クラス10000のクリーンルーム並みのオペ室内にて、クリーンベンチという滅菌装置の中でPRPを作成することが出来ます。)していた為、それを外来の注射に応用することも出来たのだと思います。

PRP療法に関する写真一覧

このように、当クリニックのスタッフ・知識・経験・設備により、現時点でPRP注射が1回5万円という世間相場からかけ離れた信じがたい安値で提供できるようになりました。

安すぎて怪しいとの御意見も御座いますが、市販のキットしか知らないドクターからしてみたら、ある意味詐欺と思われても仕方ないかもしれないほどの金額設定であるかも知れません。確かに、手術室の増築費用を考慮すれば、到底回収できるものではないのですが、PRP療法という再生医療を、将来“身近で安価で普通に行える治療方法”にする為には、そんな「怪しい」というご意見は私が気を揉むところではないとおもっております。

7)今後のPRP療法について

いつも若いドクター達を見て懸念しています。特に変形性ひざ関節症は高齢の患者さんに多く、変形度合いが強いのもまた、高齢者です。田舎に行けば近所に整形外科もないかもしれません。年金暮らしをしている患者さんに少しでも多く次世代の治療としてPRP治療を受けてもらうためには、我々がその道を模索するしかないと考えています。

また、注射も打ちっぱなしでいいのでしょうか?手術もやりっ放しでいいのでしょうか?という話です。定期的な診察、治療後の状態変化の観察および機能評価、画像検査など、自分の治療に責任を持ってフォローし、その結果をきちんと世間に学術報告するのが医師としての最低限のルールです。色々なスーパードクターがおられるようですが、やりっぱなしというのは最低限のルールを守らないある意味スーパー適当なドクターということでしょう。

家族で笑顔のイメージ写真

そして、なぜこのPRP治療が整形外科、少なくとも整形外科専門医主導で行われなければいけないのか?ということにつきます。いくら儲かるかという算術よりも、どれだけの人に効果があるのか、という学術的な切り口で行われるべきで、今まで軟骨は治らないと言われていたものが治るかもしれない、治るまでの代替えになるかもしれないという時代に差し掛かっているのです。

まさに学術的な側面からこの治療を世間に広めていかなければ、折角の既存の治療に取って代わるかもしれないPRP治療に水を差すことになります。果ては、医師が興味を失えば、臨床的データが集まらないばかりか、いつか効果のない治療として忘れ去られてしまうかもしれません。

限られた人のみが、培養を必要とする幹細胞治療やi-PS細胞治療を受けることができるでしょうか?いや、誰もが、それこそ年金暮らしのお年寄りですら、受けることができるのがPRP治療なのです。ほとんどの海外文献には共通して書かれています、「自己由来の安価で安全な治療それがPRPだ」と。それだけ、PRP治療に効果があることを実感しているからこそあえて苦言を呈しているのです。

8)最後に

社会問題化していている医療費高騰の一因となっている人工関節置換術の多さ。これは、保存治療が無効であれば、現時点での最終手段として人工関節を選択せざるを得ないのです。しかし新たな選択肢として再生医療が増えることになれば、もしかすると人工関節そのものが過去の治療法となるような、まさにパラダイムシフトが起こる可能性も秘めています。

また、世界のPRP研究の流れと言いますと、欧米は昔に比べると少しトーンダウンといった感じがしますが、論文は中国、韓国、トルコなどからの報告が増えています。本邦では、幹細胞を使った再生医療が少し熱を持ってきているような印象です。しかし、いまだに精製方法や投与するまでの新鮮度を保つための管理方法、投与方法や投与回数、作用機序まで、まだまだ臨床データーと基礎的研究を双方擦り合わせてPRPの作用機序を解明しようとしているのが現状です。市販のキットの中でも出来上がるPRPの質もバラバラで、そのような検証がおろそかになっている状態で、本邦では「効いた?効かない?」について論じ始められるようになってきてしまっています。学会で我々が発表をしても、ドクター達はぽかんとしているか、質問をしてきていてもなんだかトンチンカンな質問が多く、却ってこちらが恐縮して混乱してしまうような印象です。

私がPRPに目をつけ臨床に応用することを決めた当初は、周囲の反応は「なんだそりゃ?」「そんなわけのわからないもの、怪しくね?」と嘲笑されたものでした。それでも、どうやったらPRPをクリニックレベルで臨床応用できるか?を考え始めて早5年。「そんな安く作れるはずない」「程度の軽い人には効くようです」「やってみないとわからない」「効くか効かないかわからない」と全国各地に散在する自称スーパードクター達は異口同音に言うことでしょう。当クリニックのスタッフ達は、少なくとも5年は毎日PRPのことを考えてきました。ですので、うちのスタッフ、もしかしたら事務員ですらPRPに関しての知識は豊富かもしれません。なんでそんなに安いの?自分たちで作れるから。その環境を保有しているから。その知識を保有しているから。−様々な質問にも今では、ようやく豊富な臨床経験で様々な症状について説明できると胸を張って言うことができます。

我々医師も生きていくのに必死なのは十分理解しているつもりです。金儲けのために努力するのも構いませんが、少なくとも自分のところに来てくれる患者さまのために頑張りたいものであります。先生と呼ばれるものの使命は、いつも知的好奇心に基づいて、先生と呼ばれるに値する知識の追求を忘れないことだと思っています。

9)追記

こんな話がありました。30年ほど前、まだ骨粗鬆症の治療が今ほど世間に行き渡っていない時代。西日本に比べて東日本の方が有意に骨粗鬆症の患者さんが少ないという有名な話がありました。それは、西日本の人たちは納豆を食べないからで、また秋田では妊娠すると半ば強制的に納豆を食べさせられ、それにより母子ともに健康になるという慣習があるとのこと。おそらく、出産後骨粗鬆症予防のことを言っているのだと思います。昔の言い伝え、伝承には結構言い得て妙と言いますか…かなり的確なものがあります。今でいう、ビッグデータの蓄積によるものということだと思います。

剣持整形外科クリニック医院長 剣持雅彦

このように、血液に秘められた未知のパワーに感嘆し、この再生医療分野への期待は非常に大きなものになると確信した私にとって、「群馬県の太田市近辺の住民は膝の痛みで苦労している人が極端に少ない。」という疫学データが公表されることが、私の希望です。

昨日まで、高名などこぞの教授がベストな知見に基づく最適の治療だ!と主張していたことが、翌日には推奨されない治療の一つとなり、10年後には禁忌治療となっていることなんていまだに普通にあるのです。例えば、昔は少量ならOKとされていた妊婦の飲酒のように。

それだけ、まだ医学はわからないことだらけ日進月歩ということでもあります。

「生きるために医師でいるのではなくて、医師であるために生きなければいけない。」

for the dignity of PRP

2019.10.22 で813膝 OMERACT-OARSIでは89%